kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<19> 夢遙か、我が忘れじの名物先生

 たまに、学校の恩師の夢を見る。今だに夢に出てくるのだから、相当なインパクトを与えた先生たちだ。これほどの名物先生、私の心だけにしまっておくのはもったいない。ぜひ紹介したい。その名物先生は結構いる。今回は小、中、高校から、えいやっ!という気持ちで各限定1名の紹介である。

 小学校にはいろいろおられた。安平先生(さすがに仮名にさせてほしい)の、あの赤ら顔が真っ先に浮かぶ。お酒が相当いける口であった先生は、いつも赤ら顔をしておられた。実に豪快な先生であった。クラスには、自由奔放、やんちゃな男子がいて、いつも先生にしかられていた。そのしかり方が半端でなく、3メートルほどもある太い竹を抱え、その子の頭をガンガンたたかれるのである。今なら、体罰を越えて犯罪行為となるしかり方であった。その子は、たたかれてもものともせずやんちゃを続行するのであるから、大したものだ。 教師も児童も、バンカラの大人物がいたようだ。

 確か、若くもないのに大型バイクを飛ばし、片道1時間ほどの遠距離通勤を続けておられた。たまに先生は、高級料亭に出かけた経験を年端もいかない私たち児童に自慢げに話されていた。安月給の身の上では、よほど嬉しかったのだろう。「キュウリでも、スーとまっすぐなやつが出てきて、ほんまにおいしいんや」と話されていた先生の悦に入った顔が、なぜか忘れられない。子どもは誰も、こんな大人世界のこぼれ話が大好きだ。

 中学校にも名物先生は多数いた。城田先生は理科の先生。実に多才であった。黒板には印刷物のような活字を美しく書かれ、背を向けて板書中もずっとしゃべり続けられた。50分間、まさに隙のない授業で圧倒された。自慢なのかどうか、黒板の板書は消さずに退室されるのが常であった。次に教室に入ってくる先生は、その美しい板書に驚嘆の声を上げられた。その光景も、生徒にはちょっと見ものであった。バレーボール部の顧問もされ、あのトスさばきの華麗さは今だに目に焼き付いている。教師の模範のような先生であった。

 高校の先生は個性派ぞろい。ピカイチの個性派先生を紹介しよう。枝野先生は結構神経質で、こだわりの強い先生であった。入浴時にも石けんを使わないという変わり種でもあった。そのことを堂々と公言される。趣味も多彩であった。テレビで映画のロードショーを視ては必ず大学ノートにびっしりと感想を書き、その大学ノートがすでに5冊たまったと嬉しそうに話しておられた。ホームルームには他の先生をつれて即席バンドを結成し、ギター担当でフォークソングを奏でる。昼休みには、中庭で同僚相手にピッチング練習。さぞ、天国のような教員生活であったことだろう。
 そのくせ、授業はまめであった。「それでは、一献書いてもらおうかのう」、広島弁丸だしの先生の口ぐせであった。「楊貴妃がどれほど美しかったというと、ハンカチで汗を拭うと、その汗は桃色に染まったんじゃ」と真顔で話される。ほんまかいな、と思いながら、今でもその逸話が記憶に残っているのはなんだろう。

 こうして大学に入ると、名物先生との出会いはピタリととまった。一人で自ら歩んだ研究の道程がよみがえるばかり。

 幼きころの学校の先生の影響力は絶大なり。このことを肝に銘じて、教員予備群や現役教員は日々の鍛錬に励むべし。子どもひとりのその後の人生行路を決定するほどの影響力をもつのだ。

 大学教員としては、悔しくも、うらやましい存在なのだ、学校の先生は。忘れじの教訓としてほしい。

<18> 海外でのトラブル、ワンサカ、ワンサカ♪

 海外へは数え切れないぐらい出かけている。アメリカにいるときは、アメリカ中を飛び回った。しかし、根が慎重なせいか、大きなトラブルに巻き込まれたことはない、と思う。が、小さなトラブルには山ほど遭遇した。紹介しきれないが、海外旅行の参考程度に、記憶をたどりながらいくつか紹介しょう。今回は、アメリカ編のごく一部である。

 シカゴからワシントンでの出来事である。確か、学会で成田からワシントンに飛んだときだった。北米に入ってからしばらくして落雷の悪天候に見舞われ、搭乗機がシカゴのオヘア空港に急遽降り立った。乗客は誰もが不安な顔つきであった。何が不安かというと、この次の移動をどうするかという大問題がある。このようなときは、カウンターでクレームを入れ、飛行機のチケットを手に入れる必要がある。もう夕刻の遅い時間なのでこの日の便はないだろう。ホテルも手配してもらう必要がある。翌日には必ずワシントンに着かなくてはいけない。学会発表は待ったなし。結構切羽詰まった状況であった。

 カウンターの女性はちょっと横柄な感じたった。客の言いなりにはならん、という気構えが見える。アメリカではよくあることだ。なんせ、アメリカの某飛行機会社はキャビン・アテンダント機内食のパンを乗客めがけて投げつけるほどだ。やはり日本のどこやらの航空会社は世界一だと、しみじみ思ってしまう。
 しかし、ここで臆すればアメリカ人には勝てない。悪天候はどうしようもないかもしれないが、そんなことで遠慮していては相手にのまれてしまう。“It’s your fault!”(あんたらの責任だ)と、こっちは犠牲者だということを思い切り主張する。事実、犠牲者に違いない。それに、私たちは客なのだ。しぶる相手の目から視線をそらさず、迫力をもって主張し通す。とことん主張する。もちろん、声を荒げてはいないのでご安心めされ。あくまでもこちらは紳士である。
 アメリカ人は自己主張と押しが強いとよく言われるが、こちらが本気で主張するとことごとく折れる弱さがある。カウンター嬢は、私の目を見ず、チケットと、それにもちろんホテル宿泊券、さらに押したので夕食代まで投げつけるように手渡した。まっ、いいだろう。ことは決着した。

 そこからタクシーで町外れのホテルへ。なんというゴージャスなホテルであったことか。浴室は大理石で、湯につかりながら壁に備え付けのテレビが視れた。ベットもフカフカ。残念なことは、わずか数時間しかホテルに滞在できなかったことだ。早朝便に乗らねばならず、シャトルバスで空港に出向いた。眠い。実に眠い。ワシント行きの機中ではもちろん爆睡であった。

 到着したワシントンでも気まずいことがあったな。日本ではめったにしないのに、海外ではやたら道をたずねる。ある英文学者が、学徒のころ、分かっている道を尋ねては語学の勉強をしたと聞いたが、そんな、せこいことはしていない。本当にわからないから、てっとり早く聞くのである。聞くとほぼ全員丁寧に教えてくれる。こんなときは、アメリカ人はとても親切だ。
 それに慣れたのか、ワシントンのダウンタウンで、札束を数えている人に道をたずねてしまった。May I ask you a question? 即刻、No! とにらまれた。当然のことだが、久しぶりの拒絶に心が折れた。何もそんなににらまなくても・・・。しかし、悪いことをしたな、とつくづく反省した。守るべきはマナーである。
 
 ここは、せめてもの償いにアメリカのよいところを一つ紹介せねばなるまい。実は、日本人が思っているほどニューヨークでもどこでもアメリカは基本的に治安は悪くない。きわめて安全なのだ。ニューヨークからワシントンに列車で移動し、深夜に駅についてホテルまで20分ほど歩いたことがあった。暗闇の寂しい通りに、黒人が多くたむろしていた(ワシントンは黒人が多い)。しかし、一人歩いていても何も怖くなかった。私を見る彼らの目はフレンドリーなことこの上ない。人好きのする、明るい人たちだ。とにかく、すこぶる安全、安心なのだ。
 日本でもそうだが、何もかも安全ということはない。そうは言えば、デトロイトで怖い目に遭った。銃弾が頬をかすめるという恐怖の体験をしたのだ。やれやれ、これはまたの話にさせてほしい。


 まだまだトラブルは出てきそうだ。今回はこのあたりにして、次回を期そうではないか。

<17> マンザイ、バンザイ!

 これまで、結構お堅い、重い話を記事にしてきた。そろそろ、本来は柔らかい部分も多々ある人物であることを証すときが来た。そんな記事を織り交ぜねばなるまい。剛柔兼ね備えた人間であることをおおらかに語るときだ。

 何を隠そう、私はお笑いが大好きである。離れて久しいが関西生まれ、こてこての関西人である。大阪生まれと言いたいところだが、大阪まで電車で一駅の兵庫県川西市、源氏ゆかりの多田神社で産湯をつかった誕生である。これが惜しくも、「大阪生まれや」と公言することを禁じている。大阪で「大阪生まれや」と嘯くと、「大阪ちゃうやん」と突っ込まれた外傷経験を3度もっている。悔しい思いをすること甚だしいが、関西人には間違いないからな。

 関西人はお笑いの風土に生まれ、生きている。ボケには突っ込みを入れる生活習慣は未だに健在である。幼きころから「突っ込み養成ギブス」なるものを纏い、すかさず軽妙に相手の肩に「なんでやねん!」と突っ込みを入れる技を磨いてきた。奥深い山中で修行を積んだ武者のごとき生育史である。関西人は誰もがこの奥義をもっているのだ。

 ここ徳島の学生たちにボケてみせては突っ込みを待つこと幾星霜。その待ちはもはや詮無いことと諦観した。反応がないのである。まったくない。仕方がないので、伝家の宝刀、ひとり突っ込みを飛ばし、一息つく。空しいと言えば間違いなく空しく、希少に散らばる大阪出身の学生を見つけてはその憂さを晴らしている。やはり、大阪人の彼らは間髪入れずに突っ込んでくれる。こちらも、おかえしにボケには突っ込みを漏らさず返す。ありがたや、この麗しき人間愛。生きている心地がするではないか。

 こんな関西人気質の私は、当然のことながら漫才を好む。どちらというとしゃべくり漫才が好きだが、最近の騒がしいのも嫌いではない。和牛もいいが、霜降り明星もよい。ピンなら女性の芸人が味わい深い。男芸人など足下にも及ばないのだ、本当は。そして、漫才はなんといっても関西だ。関東のあの、鼻についたしゃべりは昔から性に合わない。いつもとりを飾る、関東の某漫才コンビが出るとチャンネルを速効で切り替える。大阪にとって、ここでも東京はライバルなのだ。負けたらあかん東京に、である。

 ところが落語はそうでもない。東京もよいのである。かつて柳亭市馬の落語会を名古屋で聞いて衝撃を受けたことがある。そう、若くして落語家協会の長を務める彼である。負けた、と思った。惨敗であった。何を競い合っているのか?というと、客の心をつかむ話芸である。私も講演は下手でない。むしろ、引きつけのある話をすると自負していた。ところが、ところがである。市場の話芸は至宝の輝きをもって、客を引き寄せてやまない。一介の研究者の私がたちうちできる代物ではなかった。

 こんな話で終わると研究者のレベルが疑われかねないので、最後に知識のかけらをひとつ。お笑いは健康に良いというのは本当である。免疫力が高まる。お笑いの反対の苦行、たとえば歯を食いしばって長距離走をすると、一時的だが免疫力が俄然落ちる。異常細胞を食い殺すキラー細胞の活性化が落ちるのだ。反対に、笑いやユーモアはその活性を上げる。
 こうは言っても、悲しみは長きに続くが、笑いは一過性のものだからたちが悪い。この面から健康になるには、ずっと笑っておけということか。現実にはそうも行くまい。節操のある笑顔は人を引きつけるが、笑いっぱなしの生き様は人を遠ざける。想像するがよい。笑いっぱなしの友人がいつもそばにいる生活を。うっとうしいことこの上ない。

 笑いは健康によいと言うが、大阪人は別に長生きではない。ということは、大阪人の笑いも結構シュールなものが多いのかもしれないな。大笑いして、やがて悲しい大阪人。
 妄想の上に調子に乗った雑文となった。これで、わがブログの愛読者が5人は去ったな。

<16> 札幌、豊平川の奇跡

 一昨年札幌での講演に出向いたとき、実に奇妙な体験をした。私にとっては希有な、奇跡の体験であった。ぜひ紹介したい。

 前日入りしてホテルの部屋で近くに何があるのか調べていると、驚いた。何と、あの有島武郎の小説「生まれ出ずる悩み」の舞台となった有島自身の家の跡が近くにあるというのである。

 愛読書は何冊かすぐに挙げることができるが、この小説は私が中学生のころから愛読書中の愛読書なのである。画家志望の青年がみずからの能力を信じ切れず、有島に絵を見てもらいに札幌、豊平川近くの邸宅に尋ねるところから物語が始まる。その後、歳月を経て再度有島邸を尋ねた青年は、漁師として生計をたてながらも夢捨てきれずに絵を描き続けていた。

 小説は、こんな青年と有島との出合いと再会時の対話、そして有島の青年への逞しい想像により綴られている。新たな世界に生まれ出ようとして苦悶する人間の姿が、その心の動きとともに見事に描写されていた。
 私は、仕事上の壁に出会うたびにこの小説を手にとった。そして、ふたたび歩む力を得ることができた。私にとって、宝の小説である。

 「山ハ絵具ヲドッシリツケテ、山ガ地上カラ空へモレアガッテイルヨウニ描イテミタイ」。そう書かれた有島宛ての青年の手紙に画家としての真実を見たようで、心を打たれた。

 その青年こそ、晩成の画家木田金次郎、その人であった。かなり前に大学でこの話をしたことがある。一度この画家の絵を見たいものだと学生に話した。そのとき、ひとりの学生が「先生お見せします」と言うのである。その学生は北海道岩内の出身で、そこにはこの画家の美術館があり、画集も出ているという。

 夏休みが終わり、学生は画集をたずさえて大学に来ると、ポンとその画集を私にくれた。その絵に見入った私の感動を誰が想像できるだろう。芸術的なセンスがまったくない私の心を打つ絵画は、作者の人となりが見える絵でしかない。その絵は、あの小説で苦悶し、壁を乗り越えた者、本当の芸術家のみが描ける絵であった。

 9月の夕暮れどきにはまだ時間があると、早速ホテルを出て有島邸跡に徒歩で出かけた。思いの他時間がかかり小一時間も歩いた末、ようやくその跡地に着いた。そこには、「有島武郎旧邸跡」と一本の杭がたてられているばかりで少しがっかりした。

 そのまま豊平川の土手に上がり川沿いを散策することにした。周りの風景はすっかり変わったであろうが、豊平川の流れはおそらく当時のままに悠々として穏やかであった。土手にはコスモスの花が咲き乱れていた。

 二人がここで出会ったと思うと、しみじみといろいろなことに思いを馳せることができた。そのとき、あの画集で見た木田金次郎の「夏日風景」という油絵が脳裏に浮かんだ。その瞬間、突如として、言葉のつらなりが天から降ってきた。その言葉は有島からのメッセージだったのだろうか。まるで、小説「生まれ出ずる悩み」で有島が本当に言いたかったメッセージのように感じた。

 すぐにホテルに戻り、そのメッセージを次の日の講演用のスライドに埋めた。講演は、学校の先生たちを対象にしたものだった。そのメッセージを何度も読むと、それは私へのメッセージであり、有島が多くの人に伝えて欲しいと言っているようなメッセージのようにも感じた。
 
 有島のメッセージなら、英語文化に染まった難解かつ格調高い言葉になるのだろうが、私という凡人のフィルターを通したせいか、そのメッセージは誰もが理解できる平易なものであった。

 これは、私の妄想かもしれない。しかし、お伝えせざるを得ない衝動に、今も駆られている。最後に載せておく。それぞれに感じとって欲しい。

          「世界でたった一枚の絵」

     絵は誰でも描ける
     描かれた絵は、世界でたった一枚の絵だ
     その絵にどのような価値があるのか、正直分からない

     しかし肝心なことは、絵を描こうとする熱い衝動、
     絵を描き切る行動力、さらには、
     描かれた絵への心からの慈愛である

     不思議なことに、その絵は物語を奏でる
     子どもたちの心に響く物語だ
     物語を心の支えに、彼らは人生の荒波を渡るだろう

     先生なら幸あれと願う そう願ってまた絵を描く
     世界でたった一枚の絵を

<15> 胸しめつける、郷愁の母

 卒業の季節。研究室の学生たちが巣立った。静寂の院生研究室に佇む。実に静かだ。胸を覆う惜別の情。この悲しみは何なのだ。毎年のことなのだが、教員稼業のなんとせつないことか。
 出会いがあれば、別れがある。重々に承知している。しかし、別れがない出会いはないものか、とも考えてしまう。物理的な別れはあっても、精神的に分かれを断つことはきっと可能だろう。

 彼らはそれぞれ希望に胸ふくらます世界に入っていく。それなのに悲しむとは、なんと自分勝手なことか。いつまでも自分のもとに置いておくことはかなわぬのに。そう言い聞かせるのだが、この思いはどうにもならない。裏を返せば、本当に充実した教育・研究指導ができたと思っている。悲しみ以上に、彼らの今後の活躍に期待し、そう祈っていることも事実である。

 子が巣立つとき親もこのような心境であろうかと考えて、はたと気づいた。逆に、子が親と今生の別れを経験するときの悲しみはどうだろう。一昨年に父を見送った。自由に人生を謳歌した父。その父を支えきった満足に、悲しみよりも感謝と満足の気持ちで満たされた葬儀のときであった。親の死を悲しむよりも、悲しみを圧倒するほどの孝行を生前になすことが子のとるべき徳というものだ、と威勢を張ってみても、一抹の後悔は残り続ける。しかし、意外と納得のいく別れには驚いたものだ。

 さて、年老いた母親に思いを馳せればどうだろう。尽くせない。どれほどの孝行をなしても尽くせない。その思いに圧倒されるばかりだ。子どもにとって母親の存在価値は絶大なのだ。もし母が旅立ったら、私は立っていられないほどの悲しみに打ちひしがれることになるだろう。
 母親の胎内から生まれ出たこともあろうが、やはり幼いころ母親から受けた慈しみは生涯に渡りぬぐい得ぬ心の堆積物になっている。幼いころから今日までの、母親から受けた無条件の愛が心にしみる。見返りのない愛は、受けた後には忘れ得ぬ恩情とともに重く受け止められる。孝経の一節に「身体髪膚、之を父母に受く」とあるが、母に受く、という思いが自然と強まる。

 よし、母親が亡くなるなどとは金輪際考えずにおこう。人は生まれときから死という悲劇の運命を背負うことになるが、その悲劇を忘れる仕掛けが幾重にもなされ、我々の日々の生活の安寧は守られるはずだ。今を楽しみ、来る日々の朗々とした輝きを信じて生きればよいのだ。母が亡くなるようなことがあれば、圧倒的な悲しみには所詮あがなうことはできないだろう。せめて今は、精一杯母親との毎日を享受しよう。

 こう考えて分かったことがある。学生の巣立ちを大いに悲しむがよい。それは偽りのない正直な気持ちだ。もっともなことだろう。せめて、彼らが学生のうちは、学生との生活を楽しもう。悔いのない最高の指導をしよう。そして、巣立つ学生への悲しみの背後で、前途洋々たる未来を陰ながら祈ればよし。教師とはそういう宿命なのだ。いや、教師冥利につきると言わねばなるまい。これも、また幸いかな。
 人生は、心の持ちようでどのようにも輝いてくる。そう、心の持ちようで。 

<14> 一瞬の時を解放せよ!

 言わずもがな、現代社会に生きる我々はストレスにさいなまれている。そのストレスの出所は、病気を除けば、大半は対人関係の問題からくる。対人関係のストレスが嵩じるのは、過去を悔やみ、将来を心配しすぎることによる。このことから昨今、今このときに集中することが勧められている。つまり、今一瞬の時を過去と未来から解放するのである。
 
 英語では確か、”Past is a history. Future is a mistery. Present is a gift” と簡潔に表現され、これは儒教思想から来ているとも聞いている。なるほど、うまく言ったものだ。現在は贈りものなのだ。しかし、今ここ(now and here)に心をとどめることは究極の難問である。これができれば、過去と未来へのとらわれの時間が自動的に激減する。

 このことを可能にするために、昔も今もさまざまな技法が編み出されている。仏教でお経を唱えたり、写経に没頭するのもその方法。座禅も極めればそうなる。そして現代でいえば、マインドフルネス・トレーニングが流行りだ。この方法では、たとえば、呼吸などの身体反応に意識を集中させ思考を中断する。何を隠そう、私も日に何度か、呼吸に集中し、マインドフルな状況をつくり、思考の有害な移ろいを防いでいる。これが結構ストレスに効く。
 
 しかし、人は何も考えないという状況がなかなかつくれない憐れな存在。起きているときは精一杯考えてしまう。夢の中でも考えるときがあるから恐ろしい。しかも、その考えの焦点は刻々と流転する。もちろん、今ここだけにとどまっていては人生は成り立たない。やはり、要はバランスになり、過去と現在と未来へのとらわれは対等ぐらいがよいのではないか、とひとり予想している。

 さあ、今ここへのとどまりをどのように達成するか。これで決まりという方法はないので、各自が自分に合った方法を選べばよい。写経はやったことはないが、一度やってみたいと思っている。いろいろやってみると、いずれは自分に合った方法に出会うことになろう。フロー体験といって、意識が飛ぶような集中体験にたまに遭遇することがある。しかし、これは天から降ってくるような体験で、自分で自在にたぐり寄せることはできそうにない。ランナーズハイもよく似た現象である。

 それにしても、あまねく人生は過酷なものだ。その人生を幸多く、快適なものにすることは最大の課題となる。このブログもそのことに貢献したいと切に願っているが、まだまだだな、という思いが焦燥感をかきたてる。ここでひとつ、マインドフルネスを1回やっておこう。

<13> 幸福の条件

 人は「しあわせ」をもとめる。当然のことだ。私も、ひとたび教育にたずさわれば、子どもたちを前に幸ある前途を祈り、またそれを目指して教育を構築し、進める。とにもかくにも、「しあわせ」の言葉ほど心地よい響きを感じさせる言葉は他にないだろう。しかし、大切なものは、求めようとすればするほど遠のく。一握の砂が指間をすべり落ちるように。なぜそうなのかは定かではないが、人はいつもそのような哀れな結末を迎える。

 そもそも人は、幸福の条件をはき違えている。どんなに経済的に豊かになっても、どんなに出世をしても、それは幸福とは無縁の世界だ。幸福は、そのような物質的あるいは社会的な成功で得られるのものではない。たいそうな努力をして良い大学に入り、良い仕事につき、巨額の富や名誉を築いても、すべてはしあわせにとって詮無いこと。こんなことは近年の心理学が、証拠の材料を山ほど出している。それが意外と知られていないのは残念極まりない現実だ。世界の大富豪も、イヌイットも、マサイ族も、幸福の度合いは変わらない。サラリーと幸福度の関係は正比例からはほど遠い。

 実は、人ひとりの幸福は、その人の心の有りようで決定される。それには、二つの心の条件がある。一つは、本当に自分がやりたいことを自分でやり、その結果、どんなささいなことでもよいから、自分だけのものを創っていくこと。そして今ひとつは、他人との交流に心の安定と安らぎを感じることができることだ。もちろん、これに健康であることが条件に加わる。
 分かりにくいので、ある人物像をあげる。「康平くんは、休日には趣味の模型づくに没頭することが多い。誰に見せることもないが、完成された模型は康平くんの個性がよく出ていて、その出来映えにひとりほくそ笑んでいる。かといって友だちも多く、電話もよくし、いっしょに遊びにも行く。好んで交流している感じだ。心身健康な状態なことも嬉しい」。こんな人物は幸いである。

 これらの条件は一見かたちがない。どう達成すべきかも分かりにくい。だから、誰もがかたちのある見かけの達成を目指し、幸福への道をことごとく踏み誤る。あなたはしあわせですか? こう問われて、他人との比較の上での成功の有無に思いがはせる人は不幸である。しあわせかどうかは分からないな、しかし、不満はない、と感じる人は極上のしあわせを手に入れている。

 さて、このしあわせへの育ちの道筋はいかにあるべきか。その礎は、生まれて数年で培われることになる。勝負は早い。なかなか緊張を余技なくされる話だ。そのことは発達の常道だが、それについてはおいおい話していかなくてはならないと覚悟を決めている。しかし、ちょっとしたこつを今回はお授けしておこう。つまり、「子どもは大人になるために生きているのではない」と心得よ。どんなに幼くても、そのときどきが人生で最高の輝きを放ち過ぎて行く。そのように子育てをしたいものだ。ただ、人間には可塑性があるから、失敗はいくつになっても修正がきくのでご安心めされ。

 誰もが思い出すだろう。子ども時代のキラキラした珠玉の日々を。まだ街灯がなかった道ばたで、夕日よ沈むな、と祈りながら真っ暗になるまで遊んだことを。山の端に傾く夕日をどれほどうらめしく眺めたことか。胸をしめつけるような郷愁に満ちた思い出だ。さて、今はどうだろう。相変わらず、毎日がきらめいているだろうか。

<12> 性格は変えられる!

 性格(パーソナリティ)は、良くも悪くも我々を牛耳っている。影響力絶大である。その形成には、遺伝が7とか6で、生後の環境が3とか4と言われるが、まあ、半々だと考えればよい。目下のところ遺伝子操作で性格を変えることは不可能なので、生後の環境に気をつけることになる。
 生後の環境では大人からの養育態度が大きく影響する。一般に言うように、子どもは親の鏡で、親が暴力的であると子ども暴力的になり、親が優しいと子どもも優しい。この方程式は実に簡単だ。

 たとえば、報酬鋭敏性と罰鋭敏性性格のことを考えてみよう。親が厳しく叱って子育てをすると、子どもの性格は罰に鋭敏になる。いつもおどおどしていて、罰を受けないか、受けないかとおびえている。対人的な行動も消極的になり、行動範囲もおのずと狭まる。おおらかに褒めて育てていると、報酬に鋭敏な性格となり、積極的に人に近づき、行動範囲も広がる。こう見ると、報酬鋭敏性の方に軍配が上がる。しかし性格というのは、いくら望ましくとも極端になってはいけない。この2つの性格で言えば、報酬鋭敏性3で罰鋭敏性1ぐらがよいだろう。要は、バランスである。中庸をもって旨とする、とはよく言ったものだ。

 この性格の育ちに問題があり生きづらいようだと、変えたくなるのが人情だろう。このニーズをとらえて「性格は変わる」などのタイトルで書籍が多く出版される。最近では、臨床心理学者のアドラー関連の書籍がよく読まれている。しかし、アドラーでは変わらない。そして、外傷体験になるような強烈な体験ならいざしらず、通常は一気に性格は変わることはない。
 そもそも生まれたときには気質(興奮しやすいなど)はあっても性格はない。気持ちやものの見方や実際の行動が同一のパターンをもって共変するようになると、その総体として性格が生まれる。ちょっとむずかしいかな。これを逆手にとれば性格を変えることができるのだ。無理をしても、変えたい性格にあった行動をしばらく続ければよい。そう、変えやすい行動から入ればよいだろう。最初は苦しくても、周りの人がそれに慣れれば行動の持続は簡単だ。

 たとえば、今の私は比較的社交的だが、かつてはそうではない。しかし、自分が活動したいと思う環境では社交的でなければやってられないので、無理に人との交流を増やした。宴会では幹事をやり、余興も率先して行う。これが自分かと疑うほどだ。自分の性格からすれば辛いことこの上ない。しかし、それを続けると、周りもあいつは結構社交的だと思うようになる。そうすなると、しめたものだ。相手が受け入れるので、自分もその行動が取りやすくなる。そうしているうちに行動の背景にある性格までもが社交的に変貌する。

 今でも、私の性格の深いところは社交的ではないと思う。しかし性格は表現型がものを言う。表現型が社交的なら、それはもう社交的な性格に他ならない。
 しかし、しかしだ。いつの日か、殻に閉じこもるように、自分の世界を大切にした生き方に戻りたい。ひそかに、そう願っている。土台無理な願望かな。

<11> 人生を豊かにする三つの扉 

 人格の深みは、容易に感じられるものだ。ものの5分も話をすれば十分だろう。その人がどれほど深く人生を見つめ、どれほどの深みをもって毎日を生きているのかが手にとるように分かる。そして、深みを感じれば感じるほど、その人に惹かれるのは不思議なものだ。その深みとは、異性への愛を突き抜けた人間への愛である。人情の機微に鋭敏で、人の心の痛みが分かる人。親身になって人の悩みに心を同調させることができる人とも言える。できれば、そのような友と一緒にいたいと、心底思わせる人間愛である。
 具体的に言わなければ分かりづらいだろう。ふと机上を見れば、児童文学「あのときすきになったよ」があった。これは好例だ。クラスのみんなから疎まれていた女児が、おもらしをした友だちにすかさずバケツで水をザブンとぶっかけた。先生から叱られ、その女児は廊下に立たされる。ひとことも言い訳を漏らさない。だが、水を掛けられた友だちは分かっている。笑い者にされる窮地を救ってくれたことを。この女児のそばにずっといたいと、思わないか。強く抱きしめてあげたいと、思わないか。実にいとおしい存在だ。 
 深みは何によって生まれるのか。生まれつき決定されている部分もあるが、やはり生後の経験がものをいう。その経験により人格に深みを刻み、人生を豊かにするのだ。実は、その経験に入るには、三つの扉がある。

 第一の扉は、何気ない日常の経験になる。できるだけ外に出て人と交わるのがよい。人と交われば、心と心の交差が起こり、それが自らの心を鍛え、深みを与えてくれる。しかし、毎日の過ごし方によって心の交差の生まれ方には大きな差異が出る。人との交わりでは、心中にさざ波が立てば立つほどよい。しかし、何気ない日常の中で心のさざ波が頻繁に生まれるほどの変化を期待するわけにはいかない。変化を生む移ろいをただ待っていては、深みをつくるのにかなりの時間を費やしてしまう。

 そこで、第二の扉を開ける。それは、旅に出ることだ。日本の四季は旅情を誘う。日常の倦怠からふと旅に出たくなることもあるだろう。できれば時間を作って世界を巡ることができればよいが、そのような時間をつくれない場合は、週末の小旅行でもよい。普段の自分の日常から離れる時間と空間に身を置こう。そこでの新たな経験が深みをつくる。通りすがりの人とのふれあい。ちょっと人生を語り合うのもよし。水平線の彼方、深紅に沈む夕日にもの想うのもよし。日常から一時でも離れた場合、珠玉の経験が心を紡ぐ。その経験は半端ではないぞ。五感の中でも原始感覚と呼ばれる嗅覚や触覚にまで刻まれる、ぬぐい得ない経験だ。

 旅に出る暇もないだって? 結構引き籠もりがちだから、私は無理かな、とあきらめるのはまだはやい。そういう向きには、第三の扉がある。読書である。できれば、小説がいいな。文字の流れという疑似体験のなかで、自分では決してできない出来事をヴァーチャルに体験するのである。読書中の想像をかきたてる脳の働きは、実体験にまさるとも劣らない。旅での経験には劣るかもしれないが、これはなかなかの深みをつくる。

 私も随分と世界を回ったものだ。そこではかけがえのない体験もした。アメリカ、ニューヨークでは、ナイン・イレブンの同時テロに見舞われたツインビルの崩壊跡を前に呆然と立ち尽くした。生まれて、初めて、世界を見た、と衝撃が走る。それまで、どこの国へ行っても同じだと高をくくっていた私がだ。スペインのセゴビアでローマ時代に建てられた巨大な水道橋に、底知れぬ人力に触れ、畏敬の念に心をうたれたこともあった。人との直接的な対話はなくても、夥しい人数の人たちと話をしたような気持ちがした。それぞれの経験が、心にずしりと蓄積される。
 それに、結構ブッキッシュな私は、毎晩就寝前の読書でまだ見ぬ体験をさせてもらっている。作家が思い切りイメージを膨らませた小説は疑似体験としては最高の舞台だ。人生80年どころではない。数百年分生かさせてもらえそうだ。

 こうして私には深みが出たのだろうか。まだまだだという思いは強いが、人の心の痛みには少しは敏感になれたのでは、と思っている。まさか、思い過ごし、ではないだろな。

<10> それぞれの人生に、幸あれ!

 来週末には3月に入る。別れの季節である。前途洋々たる新世界に入る、期待の季節でもあるが、見送る側には悲しみの方が心にしみる。
 この別れの季節になると、いつも想うことがある。 ― 人には個性がある。また、発達史が違う。それに、今生き住まう環境が異なる。誰ひとりとして同じ者はいない。なぜか別れのときに、しみじみそう思う。それぞれの境遇の中、誰もが精一杯の努力をもって巣立っていく。並大抵の苦労ではなく、辛酸を舐め、這いつくばるように歩んで来た者も少なくない。そんなことはおくびにも出さず、平気な顔で乗り切って来た人たちに心からの敬意を表したい。
 「天衣無縫」の中国での意味をご存じだろうか。天女がまとう衣は実に美しい。さぞ苦労して縫い上げたのだろうと思われるが、苦労の跡が何もない。縫い目ひとつないのだ。そう思うと、なおさら美しい。かくのごとく、仕事をなしたいものだ。私の座右の銘のひとつである。
 この別れのときは、顔を上げ、晴れ晴れとした表情を見せてほしい。よくやった。大したものだ。心から、そう祝福させてほしい。

 「なぜ自分だけが」と思ったとき、人生は逆に回転し始める。どのような状況でも、やるべきことを前向きに行えば、おのずと結果はついて来る。逆境に遭遇してじっと動かず耐えるのは最低限のことで、半歩でも進む勇気を持つ者は尊い。世に言う、しあわせが舞い降りる者たちだ。人生の先輩として、そこに真実があると伝えておきたい。
 人はつくづく愛おしい。誰もが生まれるべくして生まれ、生きるべくして生きている。願わくば、その境遇を良好にし、発達のプロセスの中で逆境をものともしない特性を身につけさせたいものだ。しかし、昨今、人の世は乱れている。虐待の問題はどうだ。虐待される子どもや暴力を受ける弱者は、何をおいても救いたい。年端もいかない子どもが親の心ない暴力で短い生涯を閉じる。はけ口のない憤りが心を覆う。実は、虐待する側の人間も、大局的に見れば哀れな存在であることが分かっている。救いの手が必要になっているのだ。本来誰もが背負う必要のない罪を、はからずも背負うことになる非道を犯してしまう。どこで歯車が狂うのか。科学的にはその道筋を理解しているが、理知的な解釈を重い感情が押し流す。

 とりとめのない話になったな。別れゆく人たちに幸いあれ、と願う気持ちが、今年も私を悲しませる。

<9> 近藤誠さん、何処へ

 かつて、ガンの標準治療に反旗を掲げ、ベストセラーを連発したのが近藤誠さんだ。彼の考えは過激で、ガンの多くは早期発見をしてもしかたがないという。たちの悪いガンは、早期に発見されるときはすでに手遅れ。また、多くのガンはたちの悪いものではなく、放っておいてもよい「ガンもどき」だ、とまくしたてる。早期発見され、手術によって治ったと思うガンは、放っておいても問題ないから手術するだけ身体に悪い、損である、と言い放つ。

 現在の日本人の死亡因第1位はガンである。最近では、2人に1人はガンになるとまで言われている。しかし、治療効果がないものが多く、それでも治療を受け、ボロボロになり無念の死を迎える人も多い。そこで、近藤さんのような、きっぱりと論を発する見解には飛びつくことになる。しかも、かれは大学病院の放射線科に勤務していたれっきとした医者であった。
 しかし、その発言にはそれほど科学的根拠はない。また、それに反論する向きにも根拠が乏しい。つまり、混乱の状況で、患者だけが治療難民と化していく。その近藤さんも、近頃やけに静かだ。大学病院退職後は、研究所を立ち上げ、ガン患者の相談にのっているらしい。1時間で5万円ほどの高額相談費用が批判されたこともあったが、今はどうされているのだろうか。つめの甘さはあっても、世の常識に果敢に挑戦する姿勢は、個人的には好感がもてた。これに、科学的根拠がつくほど、つかなくてもつける方途を示唆する見解となれば良かったと、つくづく思う。このままでは、正しいかどうか決着がつかない。これを科学とは言わないのだ。

 しかし、健康にまつわる読みもの的な書籍が多い昨今である。その多くが多くの読者を得ている。それほどに、平素満足の行く医療に出会う人が少ないということである。さてさて、このブログも一段階ギアをあげる時が来ているようだ。

<8> ストレスは、甘いか、苦いか

 健康に食や運動などの生活習慣が影響することは常識だ。この生活習慣は、ちょっとやる気を出せば、ほぼ完全に健全化する。その操作はいとも簡単である。もちろん、誰にとっても簡単というわけではないが、攻略可能な人の行動なのである。
 しかし、手強いのがストレスである。ストレスは、正確に言えば、ストレス刺激とストレス反応に分かれる。ストレス反応は、本来私たちの身体を守る大切な役割を演じる反応であった。今でも、そうあってしかるべきだ。しかし、これほどのストレスに満ちた社会に人間が生き住まうことなど誰も想像もできなかったようだ。その結果、ストレス反応でオーバーヒートしてしまうほどのストレス刺激が世の中にはびこってしまった。オーバーヒートすればストレス反応で体がやられる。
 ストレス刺激の中では対人関係から来るものが最も手強い。ストレス対象がバラエティに富み、対処がむずしいからだ。世には様々なストレス対処法が紹介されているが、今のところ、それほど効力がないものばかり。結局は、自分に合った対処方法を自分で考えるしかない、というのが現状である。
 そこで、ストレス対処のチップをお伝えする。
 
・不安などはなくそうとはせず、それがあって当たり前と心得、今やるべきことをやり続けること。不安と友だちになればよし。
・ぜったいにカッ!となることがないように心がけること。短気は多くの問題を後に残し、スレレスを増大させる。
・何でも話せる信頼できる人を一人はもち、毎日のように何でも話すこと。
・もちろん、生活習慣は満点を目指すこと(これは必須ではない、としておこう)。
 
 これだけのことでも、心理学でいう大半のストレス対処方法を上回る効果を持つ。お墨付き、間違いなし。

<7> 恐竜の繁栄に人類は迫れるか? 今のままでは無理だろうて!

 恐竜は1億7千万年の間地球で覇権をとったと言われている。人類はこれに迫れるのか、と問う向きは、人類はまだ、たかだか700万年の繁栄ということをご存知だろうか。つまり、恐竜と張り合う権利は、目下のところないのである。しかし、たかだが700万年しか経ていない今でさえ、核戦争やら温暖化やらで人類の滅亡の可能性がとりざたされている。早やすぎる!
 恐竜の滅亡の原因の推測はさまざま。隕石の衝突から気候の大変動などいろいろなことが憶測されている。しかし、それは恐竜の責任ではない。ところが、今人類に言われる原因は、すべて自らの瑕疵から来るものだ。本来は、コントロールできるしろものである。そんなことで滅亡するのは、はなはだやるせない。
 ここは、人類の英知というもので乗り越えたい。それを乗り越えがたくしている一つの原因は、国という行政区分であろう。狭い地球が一つになれないものか。かつて日本も争い合う多くの小国に分かれていた。それが今はない。やがて世界もそうなるだろうと期待していたが、一向にそうなる気配がない。ドイツのヒトラーの例をあげるまでもなく、国の覇権にこだわりを見せるのは、ほんの人握りの狂気とも言える支配者たちである。その支配者の有りようにより、国は考えられないほど不道徳な道に走る。所詮集団とはそういうもので、学校でのいじめ問題などもその類いである。
 一人の狂気をいさめる仕組みを、今人類はもたない。偶然の産物でそのような人物が一国を支配することがあり、これは民主主義の中でも起こる。この状況が現在加速されているような気がするのは私だけであろうか。そのような指導者は、民衆の心理的操作がお手のものなので要注意である。個々人はそのことに留意し、今の自分の動きが、人間本来の善から出ているかどうかよく吟味しながら動く必要がある。みずからの立ち位置を高みから眺め続ける目が必要ということである。

<6> 睡眠習慣にまつわる、謎? 謎?

 みなさんは、どれほど睡眠をとっておられるのだろうか。私はロング・スリーパーで、普段は8時間ほど、土曜日は9時間、日曜日は10時間ほど寝る。成人の平均は7時間半ほどだから、寝過ぎなのは間違いない。しかし、起きているときの時間の使い方は誰よりも効率的かもしれない、と思っている。
 不思議なことは、年齢を重ねてもこの睡眠時間が変わらないことだ。一般的に言って、中年期以降は年齢とともに夜間の睡眠時間が減るが、実のところ、一日の総睡眠時間はそれほど変わらない。昼間の活動水準が下がり覚醒度が落ち、昼寝の状態が増え、その分夜間の睡眠が減るということになる。
 それにしても気になるのは、日本の子どもの睡眠時間が他の国に比べて少ないことだ。しかし、どの国の子どもも一日にとる必要のある睡眠時間は同じはず。さらに気になるのは、この睡眠時間が年々短くなっていることだ。人の進化で、睡眠時間がこれほど短期間に短くなっても問題はない、という急速な進化は考えられない。
 そう考えると、結論は1つ。やはり、日本の子どもは昼間の覚醒度が下がっている。眠そうに先生の話を聞いている子どもが多いということで、これは教育上の重大な問題になる。
 ナポレオンは3時間ほどの睡眠時間だったと言う。しかし、彼は馬上でも寝むれたという事実を忘れることはできない。ちなみに、ロング・スリーパーもショート・スリーパーも健康には良くないという結果がでている。もっとも、因果関係の方向はよくわかっていないが・・・。悩ましき、睡眠習慣の謎である。
 

<5> 甘いものは、最大の敵。ここに、人類の末路が見えるのか?

 甘いものが好きな私だが、身体によくないので極力避けている。いろいろと悪影響があるが、身体の酸化を早めるのが最大の難点かもしれない。その点、酸っぱい食物は健康に良さそう。ご老人で、美しい白髪の人、肌がきれいな人に聞くと、ほぼ全員が酸っぱい食べ物を好む。
 かつて人類がジャングルで生活していたころ、周りにある甘いものと言えば果物等に限られていて、それもほどほどの甘さ。ハチミツにありつけることなど、まれだった。そこで、甘みの好みが増し、それを求める力が増したのだろう。ところが現代は、甘いものだらけの世界。甘みを求める力はそのままで、環境は甘いものに満たされる。人類にとっては実に過酷な環境になったものだ。
 視力もそうだ。かなりの人が近眼になり、メガネやコンタクトのお世話になっている。私も例に漏れず、そうだ。言ってみれば、近眼は病気のようなものだから、ほとんどの人が病気をしている状態は一体何なのか、と訝しく思ってしまう。これほど視覚を酷使する環境で生活することなど予想だにしなかった人類には、健康なままでは処理できないほどの視覚情報が周りにあふれているということになる。
 かく言う私も、今日は8時間ほどほぼ連続でパソコンモニターを前にして仕事をしている。目に良いわけがない。
 人類は、みずから備える身体の能力の限界を越えて、どこへ進んでいくというのか。衰退の道を歩んでいるという見方も、あながち間違っていない! 何とかしなくては。