kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<10> それぞれの人生に、幸あれ!

 来週末には3月に入る。別れの季節である。前途洋々たる新世界に入る、期待の季節でもあるが、見送る側には悲しみの方が心にしみる。
 この別れの季節になると、いつも想うことがある。 ― 人には個性がある。また、発達史が違う。それに、今生き住まう環境が異なる。誰ひとりとして同じ者はいない。なぜか別れのときに、しみじみそう思う。それぞれの境遇の中、誰もが精一杯の努力をもって巣立っていく。並大抵の苦労ではなく、辛酸を舐め、這いつくばるように歩んで来た者も少なくない。そんなことはおくびにも出さず、平気な顔で乗り切って来た人たちに心からの敬意を表したい。
 「天衣無縫」の中国での意味をご存じだろうか。天女がまとう衣は実に美しい。さぞ苦労して縫い上げたのだろうと思われるが、苦労の跡が何もない。縫い目ひとつないのだ。そう思うと、なおさら美しい。かくのごとく、仕事をなしたいものだ。私の座右の銘のひとつである。
 この別れのときは、顔を上げ、晴れ晴れとした表情を見せてほしい。よくやった。大したものだ。心から、そう祝福させてほしい。

 「なぜ自分だけが」と思ったとき、人生は逆に回転し始める。どのような状況でも、やるべきことを前向きに行えば、おのずと結果はついて来る。逆境に遭遇してじっと動かず耐えるのは最低限のことで、半歩でも進む勇気を持つ者は尊い。世に言う、しあわせが舞い降りる者たちだ。人生の先輩として、そこに真実があると伝えておきたい。
 人はつくづく愛おしい。誰もが生まれるべくして生まれ、生きるべくして生きている。願わくば、その境遇を良好にし、発達のプロセスの中で逆境をものともしない特性を身につけさせたいものだ。しかし、昨今、人の世は乱れている。虐待の問題はどうだ。虐待される子どもや暴力を受ける弱者は、何をおいても救いたい。年端もいかない子どもが親の心ない暴力で短い生涯を閉じる。はけ口のない憤りが心を覆う。実は、虐待する側の人間も、大局的に見れば哀れな存在であることが分かっている。救いの手が必要になっているのだ。本来誰もが背負う必要のない罪を、はからずも背負うことになる非道を犯してしまう。どこで歯車が狂うのか。科学的にはその道筋を理解しているが、理知的な解釈を重い感情が押し流す。

 とりとめのない話になったな。別れゆく人たちに幸いあれ、と願う気持ちが、今年も私を悲しませる。