kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<13> 幸福の条件

 人は「しあわせ」をもとめる。当然のことだ。私も、ひとたび教育にたずさわれば、子どもたちを前に幸ある前途を祈り、またそれを目指して教育を構築し、進める。とにもかくにも、「しあわせ」の言葉ほど心地よい響きを感じさせる言葉は他にないだろう。しかし、大切なものは、求めようとすればするほど遠のく。一握の砂が指間をすべり落ちるように。なぜそうなのかは定かではないが、人はいつもそのような哀れな結末を迎える。

 そもそも人は、幸福の条件をはき違えている。どんなに経済的に豊かになっても、どんなに出世をしても、それは幸福とは無縁の世界だ。幸福は、そのような物質的あるいは社会的な成功で得られるのものではない。たいそうな努力をして良い大学に入り、良い仕事につき、巨額の富や名誉を築いても、すべてはしあわせにとって詮無いこと。こんなことは近年の心理学が、証拠の材料を山ほど出している。それが意外と知られていないのは残念極まりない現実だ。世界の大富豪も、イヌイットも、マサイ族も、幸福の度合いは変わらない。サラリーと幸福度の関係は正比例からはほど遠い。

 実は、人ひとりの幸福は、その人の心の有りようで決定される。それには、二つの心の条件がある。一つは、本当に自分がやりたいことを自分でやり、その結果、どんなささいなことでもよいから、自分だけのものを創っていくこと。そして今ひとつは、他人との交流に心の安定と安らぎを感じることができることだ。もちろん、これに健康であることが条件に加わる。
 分かりにくいので、ある人物像をあげる。「康平くんは、休日には趣味の模型づくに没頭することが多い。誰に見せることもないが、完成された模型は康平くんの個性がよく出ていて、その出来映えにひとりほくそ笑んでいる。かといって友だちも多く、電話もよくし、いっしょに遊びにも行く。好んで交流している感じだ。心身健康な状態なことも嬉しい」。こんな人物は幸いである。

 これらの条件は一見かたちがない。どう達成すべきかも分かりにくい。だから、誰もがかたちのある見かけの達成を目指し、幸福への道をことごとく踏み誤る。あなたはしあわせですか? こう問われて、他人との比較の上での成功の有無に思いがはせる人は不幸である。しあわせかどうかは分からないな、しかし、不満はない、と感じる人は極上のしあわせを手に入れている。

 さて、このしあわせへの育ちの道筋はいかにあるべきか。その礎は、生まれて数年で培われることになる。勝負は早い。なかなか緊張を余技なくされる話だ。そのことは発達の常道だが、それについてはおいおい話していかなくてはならないと覚悟を決めている。しかし、ちょっとしたこつを今回はお授けしておこう。つまり、「子どもは大人になるために生きているのではない」と心得よ。どんなに幼くても、そのときどきが人生で最高の輝きを放ち過ぎて行く。そのように子育てをしたいものだ。ただ、人間には可塑性があるから、失敗はいくつになっても修正がきくのでご安心めされ。

 誰もが思い出すだろう。子ども時代のキラキラした珠玉の日々を。まだ街灯がなかった道ばたで、夕日よ沈むな、と祈りながら真っ暗になるまで遊んだことを。山の端に傾く夕日をどれほどうらめしく眺めたことか。胸をしめつけるような郷愁に満ちた思い出だ。さて、今はどうだろう。相変わらず、毎日がきらめいているだろうか。