kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<16> 札幌、豊平川の奇跡

 一昨年札幌での講演に出向いたとき、実に奇妙な体験をした。私にとっては希有な、奇跡の体験であった。ぜひ紹介したい。

 前日入りしてホテルの部屋で近くに何があるのか調べていると、驚いた。何と、あの有島武郎の小説「生まれ出ずる悩み」の舞台となった有島自身の家の跡が近くにあるというのである。

 愛読書は何冊かすぐに挙げることができるが、この小説は私が中学生のころから愛読書中の愛読書なのである。画家志望の青年がみずからの能力を信じ切れず、有島に絵を見てもらいに札幌、豊平川近くの邸宅に尋ねるところから物語が始まる。その後、歳月を経て再度有島邸を尋ねた青年は、漁師として生計をたてながらも夢捨てきれずに絵を描き続けていた。

 小説は、こんな青年と有島との出合いと再会時の対話、そして有島の青年への逞しい想像により綴られている。新たな世界に生まれ出ようとして苦悶する人間の姿が、その心の動きとともに見事に描写されていた。
 私は、仕事上の壁に出会うたびにこの小説を手にとった。そして、ふたたび歩む力を得ることができた。私にとって、宝の小説である。

 「山ハ絵具ヲドッシリツケテ、山ガ地上カラ空へモレアガッテイルヨウニ描イテミタイ」。そう書かれた有島宛ての青年の手紙に画家としての真実を見たようで、心を打たれた。

 その青年こそ、晩成の画家木田金次郎、その人であった。かなり前に大学でこの話をしたことがある。一度この画家の絵を見たいものだと学生に話した。そのとき、ひとりの学生が「先生お見せします」と言うのである。その学生は北海道岩内の出身で、そこにはこの画家の美術館があり、画集も出ているという。

 夏休みが終わり、学生は画集をたずさえて大学に来ると、ポンとその画集を私にくれた。その絵に見入った私の感動を誰が想像できるだろう。芸術的なセンスがまったくない私の心を打つ絵画は、作者の人となりが見える絵でしかない。その絵は、あの小説で苦悶し、壁を乗り越えた者、本当の芸術家のみが描ける絵であった。

 9月の夕暮れどきにはまだ時間があると、早速ホテルを出て有島邸跡に徒歩で出かけた。思いの他時間がかかり小一時間も歩いた末、ようやくその跡地に着いた。そこには、「有島武郎旧邸跡」と一本の杭がたてられているばかりで少しがっかりした。

 そのまま豊平川の土手に上がり川沿いを散策することにした。周りの風景はすっかり変わったであろうが、豊平川の流れはおそらく当時のままに悠々として穏やかであった。土手にはコスモスの花が咲き乱れていた。

 二人がここで出会ったと思うと、しみじみといろいろなことに思いを馳せることができた。そのとき、あの画集で見た木田金次郎の「夏日風景」という油絵が脳裏に浮かんだ。その瞬間、突如として、言葉のつらなりが天から降ってきた。その言葉は有島からのメッセージだったのだろうか。まるで、小説「生まれ出ずる悩み」で有島が本当に言いたかったメッセージのように感じた。

 すぐにホテルに戻り、そのメッセージを次の日の講演用のスライドに埋めた。講演は、学校の先生たちを対象にしたものだった。そのメッセージを何度も読むと、それは私へのメッセージであり、有島が多くの人に伝えて欲しいと言っているようなメッセージのようにも感じた。
 
 有島のメッセージなら、英語文化に染まった難解かつ格調高い言葉になるのだろうが、私という凡人のフィルターを通したせいか、そのメッセージは誰もが理解できる平易なものであった。

 これは、私の妄想かもしれない。しかし、お伝えせざるを得ない衝動に、今も駆られている。最後に載せておく。それぞれに感じとって欲しい。

          「世界でたった一枚の絵」

     絵は誰でも描ける
     描かれた絵は、世界でたった一枚の絵だ
     その絵にどのような価値があるのか、正直分からない

     しかし肝心なことは、絵を描こうとする熱い衝動、
     絵を描き切る行動力、さらには、
     描かれた絵への心からの慈愛である

     不思議なことに、その絵は物語を奏でる
     子どもたちの心に響く物語だ
     物語を心の支えに、彼らは人生の荒波を渡るだろう

     先生なら幸あれと願う そう願ってまた絵を描く
     世界でたった一枚の絵を