kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<31> 麗しきタイの人々、活気天衝く街

 昨年の暮れ、学会でタイに出かけた。日本の旅行者には、人気1,2の彼の地である。学会はいつも通りの雰囲気でつづがなく終わり、相変わらず有意義な機会となった。しかしそれ以上に魅せられたのは、タイの人々の生活ぶりと人となりである。

 タイの首都バンコクの街は活気に満ちていた。街角で物乞いをする人も多く、都心の真ん中で露天商が所狭しと並んでいる。車に負けじと、縫うように走るバイクの群れ、また群れ。見ていてハラハラするものの、いつの間にか心地よい高揚感に包まれてしまう。貧しい暮らしぶりはよくわかるが、それがどうした、という勢いがある。

 驚くべき体験もした。滞在中の夜、道に迷い、気がつくと線路上を歩いていた。これはいけないと思い、横に飛びのくと線路に沿ってバラックやシート張りの家が連なっており、知らず知らずに家の中を歩いていた。なんと、他人の家の中を歩いていたのだ。これは無礼極まりない振る舞いだととまどっていると、住人が手招きし、こちらから出て行きなさいと、優しく出口のシートを上げてくれた。助かった。怒鳴られ、殴られても、しかたがない状況であったのだ。

 しかし、これらはいずれも、日本が疾うに忘れてしまった生きる力だ、伸びようとする力の風景なのだ。これからこの国は大いに伸びていくのだろう。天を衝くほどの勢いで。

 そう思い、日本という国に悲しみを感じたのはなぜだろう。この尊いほどの熱気をもはや失った日本に未来はあるのだろうか。確かに今は、日本の方がタイより裕福な国だ。しかし、その関係もほどなく逆転するだろう。そして、タイも繁栄の頂点を極め、日本のような衰退の道をやがて歩むことになるのだろうろうか。歴史は巡るのであろうか。さまざまな思いが浮かんでは、また消えゆく。

 それにしても、タイの人々は慈愛に満ちている。郊外のバス停で乗るバスに迷っていると、さりげなく声をかけてくれた老人がいた。先導して一緒にバスに乗り込み、車掌に降りる場所が来たら知らせてやってくれて世話までやいてくれた。どう感謝をつたえれば良いかと迷っていると、こちらの方も見向きもせず、早めの停留所で降り去った。当たり前のことを、当たり前のようにやったという老人の日常に、琴線が触れた。

 さらに、さらに、タイ語の美しい響きが、今も耳に残っている。女性なら、「コップン、カー」(ありがとう)、「サワディ、カー」(こんにちわ)と美しく語尾を上げ話しかける。優しい、実に優しい。タイ特有の踊りはどうだ。その音楽はどうだ。激しい身振り一つもなく、激しいリズムの一つもない。微笑みの国の名に恥じない笑顔もいい。その優雅な雰囲気が、見るものをノスタルジックな思いに包む。もう一度タイに行きたいものだ、と必ず思わせる決め手である。

 日本から飛行機で6時間弱。時差わずか2時間。赤道に近いとは言え、さほどの暑さでもない国、タイ。異国に行き日本を想うことが多々あったが、これほどに悲しい思いをしたことはかつてなかった。これほどに、麗しい光景に心を打たれたことはなかった。

 タイに、学びたい。