<36> 数学の天才たち ―解き明かされたフェルマーの最終定理とABC理論―
数式には強い方ではないが、専門書ではない数学や物理学関連の物語り本を好んで読む。200年の時を超え、ニュートン力学を塗り替えたアインシュタイン理論に魅せられたのがそのきっかけかもしれない。常識を覆したアインシュタインの相対性理論はやはり迫力があった。光の速読は不変、時間の進みは変動する、エネルギーは質量と光の速度の2乗、いずれも難解中の難解な理論と現象であるが、ロマンとも呼べる不思議の世界を予測した。
理論が予測する現象がことごとく実証されるのも物理学の世界の真骨頂だ。このあたりは、曖昧な科学である心理学とは随分違う。なにせ心理学では、100年以上の前の見解を交えて、ひとつの領域に多くの見解が今なおひしめき合い、相互に否定への決定打を打つことなく平然と併存している。
その点、数学や物理学の世界は冷酷なまでに白黒の決着がつく。サイエンスライター、サイモン・シンの「フェルマーの最終定理」を読まれたことがあるだろうか。この定理もフェルマーが360年ほど前に明確な証拠を残さず「証明できた」と伝えた難問だ。しかしその後、多くの数学者が試みたが、誰も証明に行き着くことはなかった。この難問を、米国プリンストン大学の数学者アンドリュー・ワイルズが1995年に解き明かした。そのプロセスは壮絶かつ孤独の7年で、一度証明結果を公表したものの、査読の過程で間違いが指摘され、その後教え子の力を借り1年がかりでようやく瑕疵がない証明に至ったという難産であった。正しいものは正しい、間違っているものは間違っていると決定される、数学の潔い世界である。
その間、彼の頭は数学漬けであったろう。その状況は幸福だったかどうか、わからない。解が見つからない状況はストレスに満ちたものであったはずだ。そして同時に、数学者にとって、それが生きている瞬間なのかもしれない。
最近では、ABC理論を証明した望月新一氏の偉業が世間を賑わしている。京大発行の一流数学誌への投稿から査読終結に7年以上も費やし、なんとかアクセプトされたという希有な偉業である。査読した方も、さぞかしストレスに満ちた作業であっただろう。フィールズ賞を受賞したある数学者は、いまだにこの業績を断固として認められないと批判しているらしい。
この偉業以前に、友人の加藤文元氏著の「宇宙と宇宙をつなぐ数学」を読んでおり、その理論の中身はよくわかならかものの、数学の基礎を塗り替えるほどの理論の誕生に心が躍った。日本の数学者と言えば岡潔が有名であるが、あの奇人ぶりからすると望月氏はすこぶる常識人のように見えるが、本当のところはどうであろうか。
しかし、一大発見をする人には不幸のドラマがあることが多い。アインシュタインもチューリッヒ工科大学での冷遇など苦境のときがあった。数年前、同じ大学の校舎前広場に立ち、そこから見えるチューリッヒの街並みを眺め入り、アインシュタインが傷心の気持ちで見たであろう同じ情景に、心に染み入る深い感動があった。この点、ワイルズも望月氏も実に幸いな数学者人生を送っていると言えるかもしれない。
昔、大学のゼミの先生が、どの学問をやっていても数学をやらなきゃだめですよ、と言われていた。この美しい数式あふれる学問に頭を浸すことは、確かに、すべての学問の基礎になっているように思えてしかたがないのはなぜだろう。