kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<20> ズッコケ、青春蟹まみれ旅行

 今年は希有な10連休。とは言え、大学での研究や教育上の仕事がある。いずれも自ら率先してやりたいことなので、仕事と呼ぶのは憚られる。趣味とか、生きがいとかいう代物だ。仕事が楽しいものとなれば格別の味わいがあり、それに没頭できることは精神と身体に頗る好ましい影響をもたらす。

 サクサクと趣味ははかどったが、連休半ばでその趣味にも倦じて、旅の空が見たくなった。それに、世間の弛緩しきった休日ムードが脅迫的に旅情へ誘う。まさかこの状況で宿泊付き旅行はないので、日帰り旅行と決め込んだ。行き先は、私の中では言わずと知れた金刀比羅宮である。麓の琴平駅に別用で立つこと幾度、未だに本宮に出向いていないという不可解千万のかの地である。

 徳島から一人高速バスに乗り高松駅で降車した。続いて、高松築港駅から琴平電鉄に急ぎ乗り、目的地を目指す。計画は完璧だ。しかし、琴平電鉄はいい。このレトロな雰囲気、田園風景の中を走るのどかな趣。「一人旅はいいな。うん、やはり旅は人生の洗濯だ」としみじみ思う。しかし、ゴトゴトと上下の揺れが激しい電車だ。よく揺れるなあ、と思ったとたん、思考は遙か数十年前の学生時代の旅中に飛んだ。

 大阪発夜行急行列車「北国」の車中だ。目指すは北海道だった。一年に一度は、リュックサックにテントを担いだ気まぐれ旅に出ることが学生時代の常であった。当時蟹族という言葉がはやった。横長のリュックを背負い、列車の通路を進むには蟹のように横歩きを余儀なくされたことによる。その蟹族の滑稽な姿をもっとも長くさらしたのは、なんと言っても北海道旅行である。大阪から夜行急行列車で青森を目指す。貧乏旅行には最高の贅沢だが、旅程の効率化からこれしかなかった。自由席で座席を3つ確保できれば、くの字になって眠ることができる。必然の経験からの裏技である。

 大きくきしむ車内では熟睡できるはずもなく、覚醒と眠りの中間状態で青森駅に降り立つ。当時はまだ青函連絡船が走っていた。ふ~む。夜行列車から連絡線か。これ以上の旅情の深まりはないな。列車の到着に合わせて船が出るので、休む暇なく乗り込み函館を目指す。船の汽笛はなおさら旅情を誘う。「は~るばる来たぜ函館~♪」サブちゃんの演歌が軽快に脳裏に響く。
 函館に着けば待ち時間なく札幌行きの列車だ。車窓からみた北海道の景色は忘れられない。とにかく土と家が違った。黒土の上に鋭角のスレート屋根が生えるように建てられている。夏の風景を見ながら、すっかり雪に覆われる冬を十分に想像できる。

 そこから、北の大地を巡る、めくるめく旅が広がった。その思い出が広角に広がり、どれに焦点を当てようかと途方にくれる。そこで選りすぐりの行き先として、網走が登場する。列車で北キツネと並走した網走までの光景もいいが、網走と言えばやはりあそこだ。網走刑務所ではないぞ。網走の駅のプラットフォームで夜を明かしたときのことである。真夏といえ、北海道の夜は底冷えする。とくに足先が冷たい。持参の靴下を4枚重ね着をしても冷たさで何度も目をさます。疲れからようやく深い眠りについたのは夜明け前であった。そのとき、突然耳をつんざくような鋭利なガキーン!という金属音が近くで響いた。何事かと驚いて飛び起きた。まだ夜明け前だぞ。何が起こったのか?! 見ると、昨夜はなかった車両が寝床の横に鎮座している。あたりを見ると、次々に車両が連結されていく。ガキーン、ガキーン! 判明! 耳元で車両の連結器が接合され、けたたましい音が響いたのだ。やれやれ肝を冷やしたぜ、と苦笑いで思い出していると、一気に山陰の海岸に記憶が飛んだ。

 夜遅くに到着した山陰の浦富海岸だ。さっそくテントをはり寝る準備。昼間のほてった身体を冷ますため漆黒の海を見つめていると、何やらチラチラ動く気配。サーチライトを照らすと、驚きの光景が。引き潮の浜辺一面を小さな赤蟹がうごめいている。数千匹はいたであろう。壮観である。昼間では決して見ることのない光景だ。奇跡の光景と言ってよい。
 今日は、テントに入らずタオルケットひとつで浜辺に寝ようか。蟹たちと同床異夢の一夜とするか。満点の星空を見ながらの夏のキャンプは何ものにも替えがたいしな。昼間の疲れもあって、綿のようになって寝入った。

 なにやら周りが騒がしい。子どもが騒ぐ声、大人の叫ぶような声、じりじりと照りつける太陽の中喧噪が押し寄せた。見ると、昨夜は蟹とたわむれるも静寂な浜辺が海水浴の客でごったがえしている! これは、たまらん。私は、大勢の海水客の中で夢ごこちであったのか。誰もが笑っていた。「ばかか、こんなところで寝て」という感じ。そんなことは知らんぞ。昨夜は、あんなに静かな浜辺だったではないか。興ざめの思いがよみがえる中、金比羅宮への階段を上る足下が視界に戻った。

 やれやれ、白日夢に見舞われたようだ。しかし、実に美しい記憶のかけらであった。金比羅宮詣での旅日記をしたためようと思ったのに、とんだ寄り道である。かくして想いは回顧を巡り、千段を超える階段に我が健脚の証をご披露する旅日記の機会を逸してしまったではないか。自由気ままな書きぶりとは言え、無念極まりなく擱筆する。