kydhp49’s diary

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<21> 隠れ児童文学作家の知られざる正体

 何を隠そう、私は児童文学作家でもある。といっても、プロではない。アマチュアである。つまり、これで禄を得ているわけではない。

 祝日など日がな一日、ポカリと空いた時間を使い、コツコツとワープロを打ち、物語りを奏でる。これまで、長編、短編選ばず書いてきた。「砕けよ、地球! ルビアン星の野望」、「盗まれた学校」、「頭の中の、もうひとりのきみ」、「おさるがとんだ世界一の宙返り」・・、まだまだあるぞ。

 たまによい出来のものができると、作品コンペにも応募する。〇〇賞をとって商業出版され、多くの人に読んでもらいたいではないか。しかし、ことごとく夢破れ、応募するはしから落選、落選の連続。自尊心がこてんぱに破壊され、我が作家才能の低さを思い知らされる。とはいえ、書くのは止めぬ。好きなのである。心底書くことが好きなのである。

 プロの作家は、例外なく幼きころから多読家であったらしい。私も小学校ぐらいまでは負けじと多読を誇り、学校の図書館の本を読み漁った。貧しい家では、たまに買ってもらえる童話を何度も何度も読み込んだ。図書館の湿り気のある部屋の一角で、書物の乾いたページをめくり読み進める快楽は何にも替えられない。この点では、私はエピキュリアンであろう。

 それが中学時代になると俄然スポーツに目覚めた。なまじっかスポーツ万能であったせいか、本を読む時間と興味をスポーツが覆った。読書習慣が復活するにはその後6年ほどを要し、大学に入るころとなる。正直、この空白の6年には焦った。もはや無駄な読み方はできぬと、読書論をむさぼり読み、計画的に古典を読み続けた。しかし、その6年のハンディはいかんともしがたく、プロになる作家力の回復は見込めなかったようだ。しかし、その後の読書三昧は今のこのときまで続いている。寝る前の読書は格別で、秘密のノートをつけながら読み続けているのだ。

 こんな私がその生き様に共鳴する作家の一人に浅田次郎氏がいる。彼も図書館でむさぼるように読書をした口だ。若くして、作家になりたい、いや、なると決めていたから、その覚悟がすごい。しかし、書きしたためる作品をかたっぱしから懸賞応募するも、ことごとく落選。それでも、書く。自衛隊に入ろうが、営業をしようが、競馬に打ち込もうが、とにかく書く。いまだに、赤の罫線で名入りのオリジナル原稿用紙に万年筆を握りしたためるスタイルは、「書く」という言葉が実によく似合う。
 ようやく原稿が活字になったのは30歳半ば、単行本になったのは40歳直前という遅咲きであった。しかしその後の活躍は、世間でよく知られていよう。ベストセラーを連発し、直木賞もぶんどり、破竹の勢いで進軍している。1冊の良書は素人にも書ける。しかし、それが連発されるとなると、本当のプロだけが持つ才による。

 この作家が書いたものには月に一度は出会うさだめ。東京行きのJAL機内誌「スカイワード」の連載エッセイ「つばさよつばさ」は欠かさず読むことになる。まさか、それを読むために搭乗しているのはないのだが。

 この作家は遊び心がある。生き様それ自体が遊び人である。競馬というバクチで世界中を飛び回っているらしい。しかし、身をほろぼすほどのバクチ通ではなく、集計すると生涯収支わずかにプラスというからすごい。嵩じて馬主にもなっている。いかに持病の狭心症の発作に怯えようと、肉汁したたるステーキはむさぼり食う奔放さもある。

 それに引きかえ、私の作品は世に出ないな。彼と違ってまったく遊んでいないのに不思議なものだ。おっと、専門の仕事では何冊も単行本を出しているのでお忘れなく。悔しいので、その鬱憤をブログに打ち込んでいるようなものだ。まじめくさった文章をここに書くつもりは毛頭ない。多くの人が読んで、ほのぼの、幸せな気持ちになれる内容を書くことに最近は心がけている。その反動は、私の専門書に出るからご安心めされ。
 
 かくして私も、七色仮面ならぬ、七色執筆者となり、ひた走るのである。