kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<41> 我が恩師を見上げて 

 大学と大学院で教えを受けた恩師が、昨年7月にお亡くなりになった。享年92歳の天寿であった。 

 コロナウィルス禍で私たちが参列できる葬儀は執り行われなかったので、私たちは、せめて先生を偲ぶ会をもちたいと願っていた。それが、この5月7日に母校で開催された。 

 先生のお人柄からか、200名を越える関係者が集まった。教え子だけではなく、友人、もちろんご親族まで大勢の方が集まった。会では、先生が偲ばれる授業時の動画や写真など胸を締めつけられるような思い出が数多く披露された。 

 もちろん先生との思い出のスピーチもあり、僭越にも私もスピーチをさせていただいた。スピーチは4分ほどに限定されていたので、十分な話はできなかったか、それでも私と先生との思い出を一端を語ることができた。 

 そのときのことを思い出しながら、何を話したのかを懐かしむように思い出しながら、ここにそのスピーチのおよそを掲載し、先生との思い出を共有をさせていただきたい。 

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  先生,ゼミ5期生の山崎です。 

 早くこの会をと願っておりましたが,いざ始まると悲しみが募ります。 

 私にとっては少しつらい時間になりますが,お話しをさせてください。 

  私は,学部から10年間,先生のご指導を大学と大学院で受けました。その後ずっとご指導を受け続け,その間,ざっと45年です。

 大学での生活は決して平坦なものではありませんでしたが,先生からは,多方面にわたり得がたい教えを授かりました。   

 研究面では,先生のネイティブ並の英語力と卓越した実験センスのもと,インパクトのあるご指導をいただきました。私には偏屈な研究姿勢がありまして,それでよいのか常々不安に思っていました。あるとき関西心理学会から先生と二人で帰ったのですが,そんな私の不安を察知してか,「かっちゃん,やりたい研究をやりたいようにやったらええんや」と言っていただきました。先生は,人の心の痛みに寄り添い、癒すように行く道を示してくださる方でした。 

  立ち居振る舞いや礼儀は、びしばし指導していただきました。これは,今の私の宝です。先生のゼミを範とする私のゼミで同じように指導していて気づきました。この指導は実にしんどい,力がいります。先生は,こんな辛い指導を私たちのためにしてくださっていたのです。先生の学生指導力は他の追随を許さないものでした。 

 つらい出来事もありました。阪神大震災です。直後にご自宅をたずねしたのですが,一大パーティを繰り広げたあの大広間が瓦礫の山になっていたのです。気丈夫にだいじょうぶやとおっしゃった先生。あれほどお苦しい中でも,心配をかけまいとお心遣いしてくださる先生でした。 

  先生とは,ご逝去の3年前に母校に講演に行ったときお会いしたのが最後です。演壇前3メートルのところで聞いていただき,最後にご配慮に満ちたお言葉をいただきました。偉大な指導者の不肖の学徒は,最後まで幸せな学徒でした。 

 その後お亡くなりになる一年ぐらい前から音沙汰がない状態が続きました。そして,突然の訃報。一年前から何があったのか。お嬢さんからその様子を聞きました。胸がしめつけられるような思いになりましたが,お嬢さんやお孫さんに囲まれ安らかにお眠りなったと拝察します。 

 しっかりもので、心遣いが優しいお姉ちゃん,お姉ちゃんファーストで思いやり深い妹さん。これ以上ないお二人が,今ここにおられます。先生,安心ですね。これからも,奥様とともにお嬢さんたちをお見守りください。私たちも寄り添います。 

 思い出は尽きず,感謝の念を禁じ得ません。 

 先生,長きにわたり、本当に,本当に,ありがとうございました。