kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<39> 夢多き大学院学生に幸あれ!

  大学から大学院にかけては、いろいろと悩むことが多い。私もその例に漏れなかった。  

 なぜか、無謀にも、高校時代から研究者になると決めていた。なにがきっかけだったのか、思い出せない。今思えば、不思議なものだ。しかし大学に入り、専門領域に進む手前で迷ってしまった。文学か、哲学か、心理学か。どうしたものか。何がしたいのか。そこで、古典と言われる、評価が定まった書籍を読みあさった。そこで答を得ることができるような気がしたのだ。そしてそのとおり、読書して自然とわかったことがある。私には科学的思考スタイルがあっており、それなら、この3領域では心理学になる。曲がりなりにも、心理学は科学を標榜する学問だ。 

  心理学に決めたがよいが、今度は臨床(応用)か基礎かで迷った。そこで、まず臨床心理学の先生のところに相談に出かけた。すると先生は、「きみは、ずっと心理学をやるつもりか?」と尋ねられた。迷うことなく「はい」と答えた。「それなら、基礎から始めなさい。応用的な臨床研究はいつでもできる。その逆は無理だ」との答えが返ってきた。その回答は妙に迫力があり、私の選択は決まった。基礎心理学、どうせやるなら医学や生理学に近い基礎心理学となった。 

 しかしいつかは臨床をやりたい。その思いを胸に研究を続け、どこで交わるのだろうかと楽しみにしていた臨床の世界には、研究を始めて15年ほどで出会った。基礎研究で培った研究成果が自然と臨床に直結した。基礎研究に支えられた私の臨床的研究や活動はしっかりとした科学的根拠をもっている分、強みがあると感じている。人の健康や適応を守る活動には科学的根拠が必要だと、今も確信している。 

 そして今、私の研究室は基礎と応用の両輪を走らせる、たぐいまれなる研究室となった。 この両輪がそろわないと、基礎も応用も粗末な研究や活動になる。

 さて大学院生たちよ。きみたちは、これからどこへ向かうのだろう。もう目指す先が決まっている者は、まっしぐらにそこを目指すがよい。まだ道に迷っているものは、無数の選択肢の中から、まだ見ぬ素晴らしい未来が待っていよう。希望だけが前途にあるではないか。私にはそう思えてしかたがない。 

 大いに悩むがよい。悩んだ分だけ、未来が開ける。今、私の大学院の学生を見守りつつ、そんなことを考えている。  

 夢多き大学院生に幸あれ!