kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<4> 医療のインフォームド・コンセント、幻想と化す!

    近年は、患者の人権が何よりも尊重され、医者が一方的に治療を進めることは避けられる、はずであった。昨今、どれほどの医者がインフォームド・コンセントを行っているだろうか。実は、ほとんど行われていない。決まりだからと、早口ながら行おうする医者はまだ見込みがある。とりわけ、個人開業医にいたってはほぼやっていない。大学病院の勤務医のころは、もっとましだっただろうに。
 やっても形式的にやるものだから、最後に「質問はありますか?」と尋ねられても、患者は思わず「ありません」と答えてしまう。かくも患者は弱者である。モンスター・ペイシャントとして猛威を振るう患者は、そうそういない。
 これは、どれほどの医者が一方方向の治療(コンプライアンス)を捨て、患者との共同で治療を行っている(アドヒアランス)のだろうか、という疑問にもなる。こちらも、まず、いないのである。。
 こう問うてみて、医療は変わってないな、とつくづく思う。掲げられている理想はあくまでも理想で終わり、患者の人権などどこ吹く風。これは、高騰する我が国の医療費とは無縁の話ではないだろう。いや、大いに関係がある。患者の人権を重視した医療には、患者を暖かく包み込む善意がある。この善意は治療を促進する。ということで、大切なところでお金が動いていないことは明白である。
 人が病み、そこから癒される過程は、きわめてデリケートで困難な過程である。医療はその困難さを十分に認識し、努めて謙虚になり、一緒に治させていただくという共同の姿勢を十分に持つべきである。さて、そんな医者は、どこかにいないだろうか。

<3> 健康のためのランニングは止めよう!

 マラソンのブームは続き、ランニングをしている人は多い。趣味として走ることには何ら異論はなく、むしろ応援したい。しかし、これが健康のために走っているということになれば、止めたほうがよろしいかと、アドバイスせざるを得ない。
 かわりに、ウォーキングをおすすめする。ランニングは中年期以降の身体には負担が大きく、害が多い。血管が傷つき、動脈の梗塞に至りかねない。ランニング中の突然死も多い。また、ランナーの平均寿命は短いということも聞いたことがある。
 ウォーキングがおすすめなのは、適度な有酸素運動になり、それに、歩いているときにいろいろなことができる。足以外の多くの筋の運動が同時にできる。眼の運動もできる。肛門括約筋も鍛えることができる。それに、それに、歩行中はいろいろと良いアイデアが思い浮かぶ。つまり、良いことづくめである。
 ただ、ランニングも、体に良いことをやっているなあ、という思いは健康的だ。そう考えると、ランニングをする人にこんな冷や水を浴びせるような文章を書かず、そっとしておく方がよいのかもしれない。しかし、健康に良いという魔法のような言葉に誘われ、間違ってランニングを始める人がいるからほっておけない。
 ただ、健康とは関係なく、ランニングを趣味で楽しむ人は好ましい、という思いは間違いなく、私にはある。誤解なく。

<2> バカはインフルエンザにならない!?

    今年も、インフルエンザが流行っている。私の周りにも多数の患者が出ている。そのほとんどがA型だ。インフルエンザが流行るたびに思うことは、なぜ私はインフルエンザにかからないのか? ということだ。
 かなり前に家族全員がインフルエンザになったことがある。マンションという密閉空間に同居しながら、一人私だけがインフルエンザにならなった。同じことが今起きている。家族全員、そして周りの知人もかかっている。しかし、私はかからない。なぜか。考えてみれば、予防接種もしたことがないし、もちろんこれまでにインフルエンザにかかったことがない。
 よく「バカは風邪をひかない」と冗談が言われるが、私はバカなのか。バカを疑う前にインフルエンザ菌に対する耐性の強さをもたらす免疫力の高さが思い浮かぶ。しかし、風邪はひくことがあるのはなぜだろう。遺伝が原因と片付けなれれば話は簡単だが、そうしたくはない思いがある。遺伝子の特性で血管が堆肥や硬化(アテローム化)せず、90歳を過ぎてももりもりステーキを食べるご老人がいたことは思い出すが・・・。
 遺伝と片付ければ、一般には何のプラスにはならない。インフルエンザにならないための、日頃の何気ない、誰でもできる鍛錬があることこそと、それを理由に挙げたい。その鍛錬の内容は、このブログで折りにふれて紹介したい。

<1> 医者の良悪は性格で決まる!

    病院等で診察を受ける人は、最近ことさら多い。しかし、どれほどの人が医者の診療に満足しているだろうか。むしろ、不満を感じている人が多いことだろう。
 とりわけ最近は、患者とじっくり向き合わない医者が多い。ほんの1,2分の診察で終える、ということもよくある。聴診器を当ても、音はほとんど聞いていない。腹部の違和感を探っているようで、ただ手を当てているだけ。いかに身体を病んでいても、同時に患者は、精神を病むほどのストレスを抱えているのである。
 医者においては、病気を診察することは、人ひとり全体を診察することだと心得えるべきである。特に、開業したての個人医院では、この欠損がよく起こる。多大な経費を医療器機等の購入に注いだためであろうか、できるだけ短時間で多くの人を見て、できるだけ多く薬を出す。つまり、利益の追求が第1となる。これが医療というのであるから、唖然とさせられる。
 しかし、どのような状況でも、真に患者と向き合う医者はいるのだ。そうさせるのは、医師自身のパーソナリティ(性格)の問題であろう。医者の知識や技量よりも、このパーソナリティが最重要で、それにより病気の治りは決定されると心得るべきである。玉石混交とも言える医療現場の質を前に、患者は賢明に医療を選択する力をもたなくてはならない。医原病とも言われるように、やりようによっては医療は害になるのだから。