kydhp49’s diary

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<26> 教師としてのしあわせ ― 32年ぶりの奇跡の再会

  ある大学の先生から聞いた話である。どうしても伝えたいので、私の勝手な想像を細部に加え、物語りを紡いでみたい・・・。

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 少し前のことだ。私は東京行きの機上にいた。もう数時間もすれば、なんと、32年ぶりに、以前勤めていた大学の教え子に会う。
 
 1年半ほど前に、分厚い封筒が大学に届いた。中には手紙があり、16枚もの便箋にびっしりと手書きの文字がしたためられていた。美しい字が1点の訂正もなく紙面を埋めていた。
 差し出し人は、30年ほど前に勤めていた大学の教え子であった。そう紹介されていたので間違いない。このような手書きの長文の手紙は珍しく、どのような手紙だろうと興味をもって読み始めた。

 手紙をくれたきっかけは、私の書籍を書店で見かけて読んだくれたことだったらしい。30年と一言でいうが、その歳月が人の生活にもたらす彩りは悲喜こもごもであり、容易には語り尽くせない重みがある。そこには、この学生が卒業後の経緯がしたためられていた。幸せな結婚をし、平穏な生活を過ごしていたようだ。子どもはいないものの、駅近くで自営の書店を営み、通勤客や子どもたち相手に毎日忙しくしているということだった。2畳ほどの小さな書店らしいが、街の人たちから愛されていることを想像させる書きぶりであった。

 さらに、当時の大学での生活、友達との交流、それに、私の授業時の振る舞いへの印象等が懐かしそうに綴られていた。最後に、「先生、私にも幸せの青い鳥が舞い降りました」と書かれていた。そのフレーズは、私の書籍の最後に書かれた言葉そのものであった。

 これほどの濃い内容を1点の間違いもなく書きしたためた手紙は、私の心の深いところに響き、さっそくお礼の手紙を送った。その後、彼女は私のネットでの発信を読むようになってくれたようで、たまにメールもやりとりするようになった。
 
 学生は東京の文京区に住んでいるらしい。東京にはよく行くので、ぜひ会ってみたい。そうメールで伝えると、学生は喜んで応じてくれた。

 東京駅前のホテルのロビーで会うことになった。近くで会議をしていたので、時間を無駄にしてたくはなくてそこを選んだ。会議が思いのほか早く終わったので、場所と時間を変えようかと学生に電話をしてみた。すると、待ち合わせの時間にまだ1時間もあるというのに、すでにホテルのロビーにいるという。

 驚いて行ってみると、ロビーの隅に落ち着かないそぶりで立っている人がいた。祝日なのでホテルには大勢の人がいたが、私はひと目でその学生だとわかった。32年間一度も会わず、写真を見たわけでもないのに、まがうことなく学生だと確信した。学生もひと目で私だとわかったようで、二人は一瞬目と目を合わせたまま立ちつくしたが、すぐに小走りでかけより挨拶を交わした。その瞬間32年間の時間の溝は埋まり、つい昨日まで会っていたかのように打ち解けた雰囲気が二人を包んだ。実に不思議な瞬間だ。

 それから、お茶を飲みながら、学生時代の話やら、その後の学生の結婚、書店の切り盛り、ご主人のこと、ご両親のことを時を忘れて話してくれた。カウンセリングの仕事で人と話すことは慣れているが、これほど心おきなく安らかに人と語れるのは初めてのことかもしれない。
 それほどに、この学生の豊かな心情と人を思いやる心根のやさしい人格は私をなごませてくれた。
 あっという間に2時間ほどがたち、私たちは東京駅まで楽しげな会話を続けながら歩いた。そこから、学生はメトロに、私は山の手線へと別れた。途中何度か学生の方を見返したが、そのたびに学生は私の方を見て手を振ってくれた。
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 なんと美しい話だろう。恩師と学生の結びつきとはかくあるべし、という夢物語りである。我が身を振り返り、このような学生のひとりでもいてくれるだろうか。きっといる。この先生のような劇的な出会いがなくても、どこかできっと私の活動をそっと見守ってくれている学生がいる。

 もしそのような学生に出会えたら、私はどうするだろう。願わくば、全力でその学生の幸いを守れる恩師であり続けたい。教師は、ひとりの学生の一生に責任をもつほどの覚悟で教育を授け続ける必要がある。教師の生きざまとは、そうしたものだ。
 そのことを思い出させてくれた、この学生と先生に、心からの感謝を捧げたい。私にとっても、まさに奇跡の再会となった。