kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<38> 「英語を勉強する交流広場」のありがたさ 

   NPO法人「予防教育科学アカデミー」を設立して半年過ぎたところである活動はきわめて順調に進んでいる。最近立て続けに開催しているオンライン講演会を筆頭に、様々な活動が付加され続けている  

 そのなかにEnglish Writing 交流の広場」がある。これは子どもの健康や適応にかかわる研究者を育てるため、とくに英語面からのサポートとしようという事業である。英語の資料を読なければ、情報は大きく限定される。週2回投稿のノルマはあるが、そんなものはたやすいノルマだろう。わずか、1文投稿でも1回になるし、長文の投稿は禁じられているのだから  

 言語は、読み、書、話すことが増えれば増えるほど身につく。赤ん坊が言葉を習得していく過程をそのことは一目瞭然だろう。とりわけ、書くことが一番精神的負荷かかる。何かをなすことにはエネルギーを使うが、その中では産出度の高さ、創造的活動面の高さ、書くことが群を抜く  

 私の勤務する大学では中国からの留学生が多い。さすがに日本語の習得は難しいらしく、特に書くことは苦手の様子。しかし、日本にのだから最高の日本語習得環境にいることになる。しかし、しかしだ。彼らはその最高の環境を生かていない。中国人同士で話し、日本語の経験度を自ら低めている。何ために日本にいるのだろうか? せっかくの機会なので、十分日本語をマスターして母国に戻ってほしい。  

 私のことで言えば、アメリカにいるときは日本語という日本語を避けることに努めた。見るもの、聞くもの、書くもの、読むもの、英語オンリーの世界であった。日本人の交流の場にも誘われたがきっぱりと断った。さぞ人付き合いの悪い人間と思われていたことだろう。アパートの壁じゅうに単語シートを貼り付け、映画DVD音楽CDも本場のものを何度も何度も繰り返し聞いて英語を身につけようとした。 

 確かに、語学の習得には個人差がある。しかし、特殊な職業につくことなければ、外国語は単なる道具で、誰でも習得できる。しかし、これだけは言っておきたい。何十年も海外にいても、いたずらに過ごしていればその国の言葉は決して身につかない!  

 こう書いていて、よく思い出すのは、日本文学者のルドキーンだ。アメリカ人であったが日本人以上の日本語を話し書けば日本の作家以上の上質の文章を書く一般にはあそこまで極める必要はなかろうがバイリンガルでなくても語学は結構上達するということだ 

 私にとっての英語は道具である。その習得が目的ではなく、他の目的のための手段である。そう考えるとNPO法人で運営するEnglish Writing交流の広場はベストの環境となる。参加希望者には、英語習得への道が大きく開かれている 

www.yobokyoiku-academy.com