kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<25> 私たちは、無意識の力に牛耳られている!

 神経生理学者のリベットは、我々には自由意志がないことを見事に証明した。その研究は実に衝撃的であった。

 簡単に彼の実験を紹介しておこう。参加者には、好きなときに手首を曲げてほしいと伝える。その際、手首の動き知るための筋電図と脳からの指令の開始を知る準備電位を測定する。そして参加者には、眼前の秒針のようなスケールを見て、その針がどこの時点にあるときに「曲げようと思ったか」を報告してもらった。

 結果はまさに驚天動地。曲げようとする意志が働く以前に、脳から曲げる指令が出ていたのだ。つまり、人間は考える前に決定し、行動しているという事実を私たちの前に晒したのである。もちろん、細部の条件を見ると、事実は複雑にからまるのであるが、そのあたりは私の専門にかかわるので説明はご容赦いただきたい。このブログでは、自らの専門性は極力出さないことをルールにしているからには(汗)。

 しかし、その後の追試結果の良好さを見ても、およそは自由意志がないと言い切ってよい。この事実は私たちの日常の感覚とは大きくずれる。ああ、人間の高邁な生きざまが否定されていくのか。真実とは、ややもすると、このように真っ向から常識に刃向かうものである。地動説が出たときのことを想えば、そのことがよくわかる。地面が動いている感覚は日常とはあまりにも乖離する。
 自由意志がないという事実はまだ一般には伝わっていない。いっそのこと、お蔵入りさせるべきかと思われるほど、衝撃の事実なのだ。

 近年の脳科学や心理学は、思考も行動も含めて、私たちの営みの9割は無意識によって決定されているという。では、たとえ1割とはいえ、意識は何をしているのか。わかり切った質問のようで、これに答えることはきわめて難しい。対面している相手に意識があることさえ、本人が証明するのは至難のわざだという現実をご存知だろうか。

 結論だけ言っておくと、意識は実に頼りない。無意識の手下のような存在である。無意識の動きに左右され、自分自身を騙すがごとく振る舞っているばかり。情けないことこの上ない存在だ。

 さて、こう考えてくると、「人間とは何だろう」という問いに、やはり行き着いてしまう。多くの科学者は、科学の謎に迫れば迫るほど神の存在を信じざるを得ないという。所詮人間は、我々に与えられた感覚機能や脳機能を越えて推論を展開することはゆるされない、という絶望にもぶち当たる。

 ひょっとして、眼前には異次元が広がっていて、現世とは異質な世界に囲まれているのかもしれない。そこでは、何かが存在するとか、何かの自然法則があるとか、そんなこととは無縁の、想像を絶する世界が支配しているのかもしれない。潜在的な広がりのヴァリエーションの無尽を思うと、この宇宙に現存するカテゴリーは砂浜の砂粒1つほどの重みもないだろう。

 宇宙は有限であるという。際限なく膨張しているようだが、その終焉も予測されている。この世に宇宙という実体しかないわけがない。その外には何があるのだろうか。実体? 外? そのような儚い概念で何かをとらえようとしている人間にはやはり限界を感じてしまう。しかし、それが人間に与えられた力のすべてだと諦観すべきか。
 いやいや、ここはひとつ、その限界を乗り越えてみようではないか。