kydhp49’s diary

健康や幸福の香り漂う、ホロ苦「こころのホット・ココア」をどうぞ!

<23> 逆転の発想! 英語習得力の低い者こそ、本当の英語教育を語れる!!

 仕事がら英語は道具として使っている。別に得意ではないが、道具としては機能しているから、それでよし。日本では、この英語の学習が重視されている。ご存知のように、小学校では英語は教科となる。

 この点、英語を母国語とする人たちはのんきである。アメリカでは英語以外の言葉を学ぶ人は20%しかいない。その必要がないのだ。移民が多いアメリカでは第3世代ともなれば母国語を話せない。これまた、その必要がないのだ。母国語として世界でもっとも話す人が多いのは中国語である。次がスペイン語。だが、英語ほど広範囲で使われている言語は他にない。話せる人の多さなら断然世界一であろう。

 さて、英語をどう習得するか。日本では実に多様に英語を学ぶ商いがはびこっている。また、様々な学習方法も提起されている。しかし、どれも決め手がなく、救世主となれるほどの学習方法はいまだ皆無である。
 なぜか。おそらくそれは、その学習方法を生み出す人たちがもともと英語習得能力が高い人たちばかりだからだろう。つまり、英語習得力の高い特別の人たちに適した方法となる。喉から手が出るほど、スーパー・メソッドを待ち望んでいるのは、英語習得力平凡人の我々だ。
 英語の力がまったくなくて、悪銭苦闘した挙げ句英語をものにした人が、学習方法を編み出したらすごいことになるだろう。それはそれは、効果覿面の方法となろう。残念ながらそれはまだない。英語を悪銭苦闘してものにした人は、そんなことは恥ずかしくてできないのかな、と拝察する。

 私もその類である。泥臭い英語勉強法をやってきた。英会話テープはテープが伸びきるまで聞き倒し、女性陣に混じって英会話学校も通い詰めた。ラジオ講座もまじめに聞き続けた。しかしどれも、これが一番という方法はなかった。言っておくが、アメリカで数ヶ月ぐらい語学学校に通っても無駄だ。学位をとるほどの過酷な環境で何年も過ごすのなら別だけど。

 しかし思うが、英語を習得する必要性はいつまで続くのだろう。通信も5Gになると、格段と通信速度と容量が増え、機械による同時通訳もラグがなくなるという。機械が聞き、しゃべってくれる、かつての未来ものがたりが現実になる日も近い。そのころには、コミュニケーションとしての英語学習の意味な何になるだろう。英文学や英語学としての意味は続くのだろうが。
 
 世界を渡り歩いていると、実に多くの英語があると実感する。英語はコミュニケーションとして使えればそれでよい。どうしても必要な状況に陥れば、英語ぐらい誰でもものにできる。なんといっても日本人は日本語を見事に操っているのだから。村上春樹は語学の天才らしい。学校の英語の成績は今いちだったようだが、高校時代から英語の原著小説を読んでいた。好きこそものの上手なれ、ということだ。私も読んでいたが、1ページ読むのに数十回も辞書を引くようなみじめな読み方かしかできなかった。

 英語学習とは何だろう、どうあるべきだろう。何年も学校で英語を学んでもものにならない日本人が、無駄な教育を小学校にまで広げようとしている、と叫ぶ向きは多い。こういう意見を耳にするたび、いろいろと考えさせられる。いまだにビジネス英会話をラジオで聞いている私は、つくづくやるせない。もう20年ほど聞き続けているのだから。